キャッチャー・イン・ザ・ライ(J・D・サリンジャー。訳:村上春樹)追加でコンビニ人間(村田 沙耶香)を少し

ずっと「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルで日本国内では通じていましたが、村上春樹の翻訳を機会に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にした。直感的には「村上春樹さんがお得意のスカした感じの演出なのかな。」といったところですが、どうもそうではない。タイトルを正確に訳すと「ライ麦畑でつかまえる人」になるようで、確かにこの小説内でも「・・・つかまえて!」って甘えたエピソードは無く、「・・・つかまえる人」のエピソードはあります。ですので「つかまえて。」だとちょっとニュアンスが異なってしまう。従って、さきの「・・・スカした云々。」は村上さんには濡れ衣なわけで、本来は、間違いを正した、正義の方なのです。
記憶の彼方にあるドラマで、中村雅俊がチャラついた刑事?みたいな役でこの「ライ麦畑でつかまえて」を読んでおり、このドラマの中では若い女性の気を引こうとして読んでいる、つまりチャラついたイメージの演出の小道具として活用されていた訳ですね。そうすると「ライ麦畑でつかまえて」はこのドラマでは小説の内容は全く関係なく、その女性が「・・・・つかまえて~!」って男性に甘えている場面を連想させる、その意味で誤訳?!のニュアンスをうまく使ったドラマの描写だったのです。この小道具活用は「キャッチャー・・・」だと成立しずらいですね。
この小説を読み進めていると、「あれっ?!読んだことあったかな?」という感じになりまして、よくよく考えてみると以前読んだ「赤頭巾ちゃん、気を付けて」という庄司薫さんの小説と、ニュアンスがそっくりです。Wikiなどで調べてみると、ここは「盗作論争」的な事があったようです。芥川賞を受賞してしまっているので、盗作説が確定してしまうとちょっとまずかったかもしれず、このあたりは玉虫色の決着だったようです。庄司さんとしては、できればその後の発表作ですっきり疑念を晴らしてくれたらよかったのですが、そうはうまくいかなかったみたいである。
でも私としては庄司薫さんは作家としてより中村紘子さんのご主人であるということの方が重要。中村紘子さんというとショパンコンクールで入賞して、昭和の時代にはショパンというと中村さんというイメージがあった事があると思う。なぜか私の家にも中村紘子さんのショパンのCDが数枚あって、今は自動車を運転するときに活用している。
小説の内容は「成績が振るわず落第・退学が確定した若者が、学校から親に伝わるまでの数日の隙に遊び呆ける。」みたいなストーリーですが(ここも「赤ずきんちゃん・・・」と類似してます。私の印象はクロ。)、ひょっとしてこれもカズオイシグロ流「信頼できない語り手」かな。つまり自分の本質とは離れて、わざと悪ぶってみたり・・・そこはぜひお読みになってご確認下さい。
急に話は変わりますが11月4日の朝にNHKが村田紗耶香さんの小説「コンビニ人間」がイギリスで人気である、ということを取り上げていて、私の感じではこの「コンビニ人間」は過去10年くらいの芥川賞の中で断トツの1位だ!と思っていたので納得なのですが、驚いたのがこの特集のタイトルに「生きづらさに共感」と書いてあって、イギリスの方へのインタビューでも共感する旨の発言を放映していました。
コンビニ人間は「素晴らしいけど全く共感できない小説」の代表格だと思っていたのです。あの主人公の感性って共感できるものなのかな?ちょっと「変態」気味で、村田さんはその変態的小説ゆえに、小説家の仲間からは「変態」と呼ばれているようで、この小説の主人公の「生きづらさ」はその変態ゆえのもので共感はしづらい。ただ、物語が進んでいくと、その変態ゆえの生きづらさが「それじゃぁ、普通ってなんだ?」に変わっていくところがこの小説の存在意義かな、と思っていた。とは言っても、村田作品の中ではコンビニ人間は変態度合いではマイルドな方で、もっと強烈な村田さんの変態小説は沢山あって、ひょっとしたらインタビューの「共感した」方は気持ち悪くて読み終えられないかもしれないぞ。
その意味での共感(つまり生きづらい世の中ということです)なら最近の芥川賞で「美味しいごはんがたべられますように(高瀬 隼子)」の方が近いように思うけどどうかな?(これも軽い変態かな?)
読んだ事のない方には通じづらい文章ですが、コンビニ・・・、美味しいごはん・・・どちらも短くてすぐに読める小説ですので、強く推奨します。最近10年くらいに限ると芥川賞中でNo.1・2です。(独断)
以上

