明暗 夏目漱石

 夏目漱石の最終作。驚くことに話の途中で終わっています。つまり夏目漱石先生が執筆している途中で他界されてしまった。その6年前に療養に行っていた修善寺で胃潰瘍による大量の吐血で生死をさまよっておられますが、この時に完治されなかったと見えて、他界された原因も胃潰瘍だったようです。胃潰瘍はきっとピロリ菌の仕業だと思われ現在の医療技術でしたら、割と簡単に除去可能ですから、胃潰瘍で亡くなってしまうこともなかろうと思い、非常に残念なことです。
 その明暗ですが、読み始めてまず感じるのが「女性の駆け引きが凄い。」夏目漱石先生の小説は男女関係がストーリーの中心になっているものが多いのですが、その割に女性心理をあまり描かないことが多い。例えば「こころ」。新潮文庫だけで700万部を超え、様々な出版社合計で2,000万部を超えているという巨大ベストセラー。この物語で「先生」は「K」を出し抜いて「静」という女性と結婚しますが、「K」が自殺してしまったことによりずっと苦しんでいる。この場合奥さんの「静」の心境などには全く触れられないままストーリーが進んでいく。ほかにも「三四郎」「それから」「門」など男女がテーマになっているのに女性心理に触れられない(とは言っても、これらの小説は男女間の機微を描くことが目的ではありませんので、それが小説の価値を下げているわけではないです。)という小説が多く、時代を考えるとしかたないのかな、と思っていたのですが、この明暗を読んでびっくり。奥様、ご主人の妹、なんとなく恩のあるおば様などがこれでもかと駆け引きを仕掛けてきます。漱石先生にはこのパターンでもう少しやってほしかった、残念。
 少々長いのですが、日本人は読んでおくべき1冊である。付録的楽しみとして、則天去私という漱石先生の造語がこの小説に表現されているという説があるらしいので、それはどういうことか考えてみる楽しみもあります。
 ところで、水村美苗という作家が「続明暗」という小説を書いている。これは、なんとタイトルのとおり、明暗の終わっているところからの続きを書いたもので、文体もバッチリ漱石のものになっている。ストーリーも高いレベルでの納得感がある。さらに驚くのはこの「続明暗」が作家水村の第1作であるということ。第1作で夏目漱石の名作の続きを書くというすごい度胸。さらにそれが成功しているという圧倒的な力。尊敬に値する。