桃配山:徳川家康最初陣地(岐阜県不破郡関ケ原町)

国道21号線を大垣市方面から関ケ原町に向かい自動車で走っていくと、関ケ原町に入って約3分程度で左手(南側)に「徳川家康最初陣地」があります。これが桃配山、関ケ原の合戦の時に徳川家康の開始時点での陣地で、高さ10m程度の「丘」という感じのところです。 以前からここに桃配山があって、三つ葉葵のご紋がはためいているのは知っていましたが、あえて訪れたことはありませんでした。仕事の途中にちょっと寄ってみることにしました。自分一人で仕事をしている気楽さです。
「徳川家康最初陣地」と書いてあり小さな文字で説明のあるパネルが設置されていますが、自動車の運転中にこれを確認するのは不可能。国道21号線で関ケ原町の東端近くなったら、南側を気にしていると、三つ葉葵のご紋がはためいている「丘」が現れますので、そこが桃配山、徳川家康最初陣地です。道路の対面側に専用駐車場があります。

ただし、ここに行っても大したものがある訳ではありません。他の関ケ原合戦跡地にも共通しますが、ここを楽しむためには関ケ原の合戦について何らかの書籍(例えば司馬遼太郎の「関ケ原」など)によってある程度のストーリーを把握しておくことが必要です。
桃配山を訪れる価値は①徳川家康が陣を構えた時に机・椅子として使ったと言われている石があること。②北西方を眺めると、関ケ原の合戦が行われた地域が一望できること。その一望できる方向に、写真上に笹尾山(石田三成の陣地)決戦地などがプロットされた位置図があります。せいぜいこの2つでしょうか。ただし、関ケ原の合戦について自分なりの認識があれば、①や②が400年の年月を超えて、思いを致すことができます。すなわち、ここを訪れて「楽しい」または「つまらない」と感じるのは各々の熱量の結果だと言えます。桃配山にしてみれば、太古からそこにあっただけのことで、そこを楽しい、楽しくないとはおこがましい事です。

①について、ネットの情報では徳川家康が椅子・机として用いた石である、という情報を多数見つけることができますが、現地にそのような注意書きはありませんでした。どうなのかな、何らかのエビデンスで確認された事実ではないのかもしれません。そうは言っても、このあたりに徳川家康が立ち、北西方を眺めたことは間違いなさそうなことですし、ちょうどそれに一番良さそうなところに石があるし、そんなに大きくはないけれど、でもそんなに簡単に動かすこともできないだろう、という大きさの石ですから、思いを馳せるにはちょうど良い場所です。

私の感想ですが、桃配山の立地は石田三成ほかの武将の本陣位置からちょっと遠いかな~と。石田三成は敵陣の割と近くにいるように見えることを考慮すると少々腰が引けている感じがあります。まぁこの戦いに至るまで必勝を期して様々な謀略を図った徳川家康であるからこれが必勝の位置なのだということでしょうか。ところで、石田三成に味方している毛利軍はここからさらに東へ5キロ程度のところにある「南宮神社」あたりに陣を構えたわけだから、こうなると腰が引けているというレベルではなく、戦いに参加する意図すらなかろうという位置取り。あそこからだと、総大将の石田三成が何をしているか全くわからないだろう。実際、毛利軍としては最後まで何もしなかったわけだしね。