遠い山なみの光(カズオ・イシグロ)

 自分の惨めで誰にも言いたくない過去を、どなたかに告白しようかとなった場合、それを自分の過去の知人のエピソードとしてなら語ることができるかもしれない。そんな事をしてまで語る必要はないかも知れないのだけれど、そうすることによって自分の気持ちが和らぐかもしれない。または、それを知りたがっている人が自分の大切な人だとすれば、その人の役に立てるかもしれない、あるいは気を引くことができるかもしれない。
 そんな大げさな事ではない場合でも、自分の過去を他人に語る場合、さりげなく本当にひどい場面を省略又は軽く脚色して語る。逆に自分の貢献度を必要以上に大げさに語る。何らかの形で自分の有利な物語に寄せて語っていく。
 カズオ・イシグロの得意技「信頼できない語り手」はそんな些細な人間の見栄を拾っていくものだ。
 「遠い山なみの光」はカズオ・イシグロの最初の長編作。以前読んだことのある小説ですが、近頃映画になるというTVCMを見たことがきっかけになって、再読してみた。
ひょっとしたら以前読んだ時僕はこの小説を誤解していたかもしれない。友人を心配していたのだけれど、結局自分もそうなっちゃった。みたいな話だと思っていたのだけれど、そうじゃなくて、冒頭に書いた自分の過去を知人のエピソードとして語る。ただし小説の中には正解は書かれていない。
 これらを踏まえると「居酒屋で自分の武勇伝を語るおじさん」はすごいリスクを負うことになる。自分語りは自分の主観でしかないから、自分語りの過去の成果は脚色の可能性が極めて高くなる。当然それはバレやすくなる。その状況のもとで、いい気になって語る訳で当然つじつま合わせのガードが緩くなりがち。気を付けよう。
 私は「過去の自分のエピソードを語る人」に遭遇した場合、条件反射的に「信頼できない語り手」をイメージしています。腹の中で笑っているかもしれない。
以上
 

