土の中の子供(中村 文則)

 中村さんは愛知県東海市の出身だそうで、勝手に親近感を持って本を読む。(東海市といえば河合その子も…)その親近感の過程で「ドストエフスキー」に影響を受けているという情報を得ました。

 主人公は子供のころにつらい経験があってそれ故に自傷願望的な行動を繰り返しているのですが、最後に同居している女性がかすかな希望になっているようです。この展開になると私には「ドストエフスキー」の「罪と罰」が連想されてしまって、それは中村さんにとっては不本意かもしれないのですが、「ドストエフスキー」が偉大すぎてしまい、その影にかすみがち・・・こうなると、そもそも中村さんが「ドストエフスキー」の影響を受けているという情報がこの本を読む際の障害になりかねない。

 ただし、この本の主題は「罪と罰」とは別のところにあるだろうし、そもそも「影響を受けている」からといって同じところを目指す理由にはならない。それに「罪と罰」に比べて読み切りに要する時間が圧倒的に少なく、この時間で「罪と罰」を連想できるなら、これはかなりありがたい。それにしても、この暗さは一読に値する暗さです。

 「蜘蛛の声」という短編も収録されています。どういうわけか橋の下で(以前取り上げた「銃」も橋の下が起点になっていた)妄想にふける。この妄想は「ドストエフスキー」の「地下室の手記」を連想してしまう。こうしてみると、この本は多分数時間で読了できることを考えると、「ドストエフスキー」前に肩を作る、というか肩慣らしにちょうど良いですね。

 「ドストエフスキー」の小説たちは、文学を芸術として考えた場合に、「人類最高の傑作」といっても過言ではありませんから、いきなり登板するより、精神的に作りこんでから読むというやり方もあり得るので、その場合のブルペン的本としてこの「土の中の子供」は有力な候補となりえます。

 この世に芸術はいろいろな種類のものがありますが、文学は人類最高のものへのアクセスが最も簡単である、という観点から至上の芸術であると言えますね。ですのでその最高の一つである「ドストエフスキー」への登板についてはブルペン経由というのは非常に合理的なものです。

以上