福音派(加藤 喜之)と日経新聞読書欄

世界を混乱させている大国アメリカ。つい先ごろまでは「ドンロー主義」と言って自国中心でやっていく旨表明していたと思ったら、ベネズエラは「ドンロー主義」の範囲内だとしても、イランに戦争を仕掛けるのはそれとは整合しない。第一、戦争で解決すべき事なのかどうか。
そのようなモヤモヤがこの本で解決するのかな、と思って手に取ってみたのですが、私には情報量が多すぎて短時間で整理するのは困難。でも間違いなく「福音派」と言われる団体が今の流れで一役買っているだろうことは間違いなさそうだ。この本とは関係ないけれど「ジェイムズ・エルロイ」の「アメリカン・タブロイド」という小説に「アメリカが清らかだったことはかつて一度もない」というくだりがあった。歴史上宗教はさまざまなトラブルの原因になってきた。ユダヤ教及びキリスト教に「終末論」という考え方がある。この世界の終わりの時に「最後の審判」で救済された人は神の国で楽しくやっていく。ひょっとすると彼らにとって核戦争はウェルカムなのかもしれない。
話は全く変わって、日経新聞の土曜日 読書面に「半歩遅れの読書術」というコラムがあって、今月は小川 哲さんという直木賞作家が担当されている。これが大変良い内容。
4/11「カーヴァー作品の語りづらさ」 小説の魅力を説明しようとする場合、どうしてもスト-リー言及せざるを得ない。実際ベストセラー作品はわかりやすいストーリー・設定で先が気になるものが多い。しかし、一言で言えないややこしい感情に小説の魅力があることもある。その例としてレイモンド・カーバーの短編集「大聖堂」を挙げている。じつはここで書かれている「大聖堂」の魅力は十分に伝わっていない。でも、それは当然だ。わかりたければ「大聖堂」読むしかない。
4/18「あえて避けていたテスカトリポカ」 絶対に面白いことが分かっている小説と呼んでみないと面白いかどうかわからない小説。この二つでは後者を読んでしまう、と小川先生は告白する。それは少々特殊な感情だと思うのですが、それを説明する過程で「・・・僕はいわゆるネタバレが気にならない。トリックやどんでん返しを知っていたとしてもその作品を楽しむことができる」という一文があって、ここに私は強く共感するのです。
私はほぼすべての小説は必ず2回続けて読む。それはネタが命のミステリー小説であってもしかり。そして、間違いなく2回目の方が面白さを感じる。簡単に言うと、1回目はストーリーの先が気になってどうしても読み進むことを優先する心情が発生する。それで、実際に何かを読み落としていることが多い。そうすると2回目はそこを拾う楽しみ、そしてそれによって1回目に思い込んでいた解釈が変わっていき結果として、1回目とは違った発見に至ることが多い。そして、それを経験すると1回で終了することがなんとなく残念な感じがするのです。自分だけかな、と思っていたので小説家の小川先生も似たような心情であるなら自信を持とう、ということです。
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