鍵・瘋癲老人日記(谷崎 潤一郎)

谷崎潤一郎先生の最晩年の中編2作。「痴人の愛」「卍」「蓼食う虫」などで変態性を追求しながら、「細雪」「源氏物語の現代語訳」などのまともな文芸にも取り組みつつ、結局たどり着いたのはこの世界。つまり少々マゾヒスティックな変態性。
鍵:妻と夫の日記が交互に掲載されますが、どちらもお互いの日記を「読まれたくない、読まれないようにしなくては。」と書きながら内心読まれていることを期待・確信しているという、日記の存在そのものがマゾヒスティックなお遊び・プレイになっている。しかし夫の日記が「カタカナ書き」になっているのもプレイなのだろうか?読みづらくて仕方ない。でも、それを続けているうちにそのカタカナが妙にハマってくるのは不思議だ。
瘋癲老人日記:こちらは、最終盤を除きずーっと爺さんの日記。こちらもカタカナ書きですが、鍵を読んでいるうちに、すっかりカタカナ書きになじみ、最後に出てくるかな書きが物足りなく感じてしまうほどだ。(つまり爺さんが入院したため日記が書けなくなり、その間は看護婦らがかなで書いているという。芸が細かいのだ。)爺さんは息子の嫁を気に入ってしまい、特に足に執着する。わざわざ京都まで出かけ自身の墓を選ぶのだが、嫁の足型を墓に入れたいという希望を持つ。つまり死んでからも踏んづけてほしいという。「痴人の愛」「卍」「蓼食う虫」などを経由すると結局この境地に達するのだろうか。
新潮文庫の解説は山本健吉先生がなさっている。先生曰く鍵は悲劇、瘋癲は喜劇だそうで、どちらが切実かといえば喜劇の由。ここは深く納得できるところで、瘋癲の方が病は深かろう。この感覚は多くの日本人に味わっていただきたいものだ。障害となるであろうカタカナは、どっぷりつかってしまえばむしろ効果が感じられるので、始めのうちはあきらめずに読み続けるべし。
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